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主に絵の練習の記録。たまに日記、雑記。

ホアキン・フェニックスの「ジョーカー」には「ドリフ大爆笑」のBGMが合う

「ジョーカー」の感想とネタバレです。

見終わった後、重くネガティブな気持ちになってしまった人もいると思いますが、僕はとてもスッキリした気持ちになりました。

アーサー自身も言ってましたが彼の人生は「喜劇」であり彼は「滑稽なピエロ」です。

世知辛い世の中、生きてれば誰でも理不尽な目にあうし、報われないことも多い。将来は暗いし、夢も希望もなんにもない。ゴッサムシティなんて特にそうで、一部の金持ち以外の住人とっては生き地獄みたいな場所です。

それでもアーサーは非行に走ることもなく、犯罪に手を染めることもなく真面目に一生懸命に働いてきました。病気の母親の世話までして。しかもずっと1人で。しかしその頑張りが報われることはなく、全て崩れてしまう。

悲惨すぎる。笑えない。でも視点を変えれば「滑稽」に見えてくる。

例えば、「チャップリン」、「ミスタービーン」、「トムとジェリー」みたいなに、本人達は至って真面目でふざけてるつもりはなくても、傍から見たらドジでマヌケでおっちょこちょいで笑える。「正直者が馬鹿を見る」という言葉がありますが、その「正直者」も視点を変えれば「ドジでマヌケなおっちょこちょい」です。

ジョーカーがコメディショーで言ってたように、善悪はその人の主観で決まるわけです。

劇中のコメディショー「マレー・フランクリン・ショー」ではアーサーを晒し者にして、司会者も観客も彼を馬鹿にして笑っていました。人を傷つけて笑い者にするなんて悪質です。でもジョーカーが殺人事件をネタにジョークを言ったら、「不謹慎だ。笑えない。被害者にも家族がいる」なんて説教をしてくる。身勝手ですよね。喜劇か悲劇か、善か悪かなんて「主観」で決まるとはこういうことです。

この映画では「ジョーカー側の人間とそうでない人間」を区別してはいません。「弱者よ、立ち上がれ!金持ちに制裁を!」みたいに煽るメッセージもありません。影響されて事件を起こす人はいないとは言い切れませんし、きっかけになる可能性はあります。でもそれは「ジョン・ウィック」にも言えることです。ジョーカーを見て銃乱射する人はジョン・ウィック見ても銃乱射します。

僕は「ジョーカー」を、この社会全体が「喜劇」でそこで生きている人は皆「ピエロ」。視点が違うだけで私もあなたも、金持ちも貧乏人も、皆マヌケなピエロだよっていう映画だと思ってます。

マレー・フランクリン・ショーでマヌケなピエロ扱いされたのはアーサーですが、5人も殺した殺人犯が目の前にいるのにもかかわらず、全くの無警戒・無防備で説教をする司会者と安全地帯にいると思い込んで高みの見物をする観客もまたジョーカーから見ればマヌケなピエロです。だからジョーカーは銃で「お前もピエロだぞ」とツッコミを入れたわけです。

ピエロ扱いされる底辺層とそれを見物する観客の境界線なんてありません。この世は喜劇で、人は皆ピエロです。

僕は今月で30歳になりますが、手取り14万以下の非正規労働者で人生に希望はありません。でもこの映画を見たとき、少し気が楽になりました。

自虐的な笑いというか、「人生はツラいけどどうしようもないし、もう笑うしかない。そんなマジになるな。肩の力抜けよ。」とか「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らなにゃ損々」みたいな感じがしました。